ポル・ポト政権(1975年〜1979年)

ポル・ポト政権時代(1975年〜1979年)

 

今回は、ポルポト政権時代のカンボジアについてです。

 

ポル・ポト政権時代


1975年4月

ポル・ポト政権樹立、国民は「新しい政権だー!」と歓喜しました。

 

しかしこれは、悪夢の始まりでした。

 

フランスで共産主義を学び、中国の毛沢東に強い影響を受けたポル・ポトは、原始共産主義を掲げます。

 

原始共産主義とは?

階級や格差のない社会を目指し、カンボジア独自の質素で堅実な農村生活を行うべきというものです。

 

この政権下のもと、

学校は閉鎖されました。

病院も閉鎖されました。

貨幣も廃止されました。

戸籍も廃止されました。

書籍は処分されました。

宗教も禁止されました。

音楽映画恋愛も禁止されました。

一切の私財が没収されました。

 

当時、カンボジアの食糧生産は空爆などで大打撃を受けていました。このことについてアメリカは「カンボジアは今後海外からの食糧援助が得られなくなり、100万人が餓死にさらされることになるだろう」と予想していました。この頃のカンボジアの総人口が700万人ですから、7分の1にあたります。

 

ポル・ポトは食糧増産を図るため、都市住民から財産や身分を剥奪して一人残らず農村に強制退去させます。

約200万人の都市住民は食糧も与えられず歩かされ、この強制退去だけで約10万人が死亡したと言われています。

 

強制退去させられた住民は、見知らぬ村(サハコー)で農業に従事させられます。異論を唱えた者は処刑されていきました。

十分な食糧も与えられず過酷な労働により生産された米は、外国から武器を購入するために召し上げられ、次第に大規模な飢餓が発生していきます。

 

ある日、ポル・ポトはこう呼びかけます。

理想の国をつくるためには教師や医者、技術者の力が必要だ。海外に留学している学生も帰ってきてほしい」と。

この呼びかけによって集まった人々はポル・ポト政権に連れて行かれ、生きて帰ることはありませんでした。

 

ポル・ポトは「階級が消滅した完全な共産主義社会の建設」と称し、「国を指導する我々以外の知識層は自国にはいらない」と考えたわけです。

 

次第に虐殺はエスカレートしていきます。

 

・眼鏡をかけているひと

・外国語を話せるひと

・本を読んでいるひと

・過去に海外に行ったことがあるひと

これらの人々も知識階級と見なされ虐殺されました。

 

将来敵になるであろうとされた子どもも木に叩き付けられて殺されたといいます。

 

ポル・ポト政権に反対したものは「政治犯」「反乱分子」として、拷問を受けた後、殺されていきました。

 

そしてポル・ポトは、カンボジア全土に「内部の敵を探せ」という命令を下します。

サハコーのリーダーには「内部の敵」を処刑する権限が与えられ、殺した人数を報告すれば賞賛されたといいます。処刑には証拠も不要であり、もちろん裁判などは決して行われません。

「内部の敵」を密告するよう奨励されたことにより、「相手を密告しなければ自分が密告されて殺される」という恐怖が広がります。

 

家族を密告するものもいました。

 

国民が互いを監視し合う

そして、国民が互いに殺し合う恐怖の密告社会が出来上がりました。

 

この悪夢の政権はいつまで続くのでしょうか。

ポル・ポトと交流があった中国やカンボジア周辺の国々は、このポル・ポト政権のことを知っていたのでしょうか。

 

実は、ポル・ポトが鎖国政策をとっていたために、世界はこの状況を知ることが出来ませんでした。外国人記者により他国で報道されることもあったようですが、「まさか!」「国民同士が殺し合うはずがないでしょう!」といった感じで、誰も信じませんでした。

 

1978年1月

ポル・ポトは反ベトナムを掲げ、ベトナム領内を攻撃します。

 

当時、中国とソ連が対立していました。

 

ポル・ポト政権は中国から支援を受けていました。

ベトナム軍はソ連から支援を受けていました。

 

ポル・ポト政権とベトナム軍は対立構造にあったわけです。

 

1978年12月

ベトナムに避難していたカンボジア人によりカンプチア救国民族統一戦線が組織され、その議長にはヘン・サムリンという人が選ばれます。

 

ベトナム軍とカンプチア救国民族統一戦線が一挙にカンボジアへ進撃します。

 

ベトナム戦争を戦い抜いた実戦経験が豊富な兵士を持ち、装備の点でも優れるベトナム軍は、驚異的なスピードでカンボジア領内を進みます。

 

1979年1月

ベトナム軍がプノンペンを占領します。

ポル・ポト政権崩壊

 

ベトナム軍とカンプチア救国民族統一戦線が目にしたのは、横たわる大量の死体の山でした。

 

このポル・ポト政権による強制労働、飢餓、大虐殺による死者は200万人以上とも言われています。1970年代の総人口が約700万人と言われているので、約3割がそれにあたります。

 

そしてなんと、ポル・ポト政権崩壊後の国民の85%が14歳以下でした。それだけ大人が殺されたということです。

 

 

ここまで述べてきたことは、日本人に分かりやすくいうと昭和50年4月〜昭和54年1月の出来事です。

 

ポル・ポトはいったい何がしたかったのでしょうか。そして、どんな未来を描いていたのでしょうか。食糧増産させたいのであれば、国民に十分な食糧を与え、また教師や技術者の知識を有効に利用すべきだったのではないのでしょうか。

 

このポル・ポト政権の樹立の背景には冷戦構造があります。ベトナム戦争が起こらなかったらこのような悲劇的な歴史はなかったかもしれません。「カンボジアの歴史」としてだけでなく「世界の歴史」として捉えるべきだと感じました。

 

2012年、カンボジアで元ポル・ポト派兵士にお話を聞く機会がありましたが多くを語ってもらうことはできませんでした。

 

このポル・ポト政権による傷跡は今も多く残っています。

 

 

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カンボジアの歴史に関心がある人、もっとポル・ポト政権について知りたい人に絶対読んでほしい一冊です。ポル・ポト政権による大虐殺時代を生き抜いた少女の体験記で、著者が体験したこと、目にしたこと、感じたことがそのまま綴られています。

 

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ニューヨーク・タイムズ記者としてカンボジア内戦を取材したシドニー・シャンバーグの体験に基づく実体験を映画化したものです。ポル・ポト政権について知っていないと、理解は難しいかもしれません。

 

 

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カンボジア共産党により処刑された報道写真家一ノ瀬泰造さんが残した書簡などをまとめた書籍が映画化されたものです。(報道写真家である一ノ瀬泰造さんは、1973年に単身アンコールワットへ潜入し、その後消息を絶ちました。9年後、アンコールワットの北東で遺体が発見されました)